注:ものすごーく長い、まとまりのない話なのでご注意下さい
私は、石の浄化をしません。
しない理由は、まず、私の石の入り口はパワーストーンだったけれど、石に興味を持った頃は浄化という概念はなかったので、なじみがないから。
私にとっては「浄化」は、いつの間にか持ち込まれた
後発の概念で、あとからやってきたのに「必ず浄化しましょう」「浄化が足りないから○○だ」といわれたって、
まったくピンとこないのです。
もうひとつは、石の鉱物としての側面にも興味があるので、
物理的に石にダメージがあるかもしれない行為は嫌だということ。
私の石は、時に土が付いていたり、しかもそのワイルドな風情が好きだったりするので、物理的に浄化という行為が無理な石もあります。
そして……これが最大の理由かもしれないのですが、ちまたで言われている浄化の説明が、
どうも納得できないのです。
最初に「浄化しない」と言っておいて「納得できない」というと、私が鉱物系石好きだから否定しているのだと思われるかもしれないので、逆説的に「私が浄化をするとしたら」という方向から話を進めてみます。
その方が「納得できない」と思う理由がはっきりすると思うので。
どちらかというとイメージ的な理由なのです。
私が浄化をするとしたら。
なぜだか知らないけれどそんな気分になって、やってみるとしたら。まず。
浄化は「洗浄」ではありません。指紋がついたから拭こう、ワイルド好きといってもこの土だらけは困るから洗おう。
そんなことなら今でもやりますが、これは「浄化」ではないでしょう。
水で洗い流すという行為は同じだったとしても。
第一条件として、浄化は、どのような行為であれ、本人がこれは浄化であるという認識を持っていてはじめて浄化である。そういうことにします。
当然、実際の行為を伴っていても
「浄化」はイメージに根ざす行為です。
ですから、こうすれば「浄化」できる。本人がそう思う、思えなければ浄化にはなりません。
「これでいいのかなあ……」と迷いながらやったり、やったあとで「あああ、石にダメージが!」では、浄化も何もあったものじゃない。
ここで
第二条件。納得できる方法で。私の場合は、石にダメージが出る方法は論外。
塩はだめ、塩水などもってのほか。直射日光も避けたいです。
しっかり浄化するなら塩で! と力説されたとしても、だったら少々浄化しきれなくてもいいから塩は避けます。
他人事ながら、塩水に長時間つけ込みはやめましょう!と逆・力説します。
そんなコトしたらクラックに塩水が染みこみます。塩が中に入ります。
へたすると「塩吹き石」になっちゃいますよ。
※ずっと昔、塩の結晶を作ろうと黒い陶器の器に塩水を作って蒸発させたら、陶器の器のひびに塩水が染みこんでしまい、洗い流したあとも、ひびに添って塩が吹き出てきて困ったことがあります。
私が浄化に持ち出すとしたら水晶ですが、石によっていろいろダメージが出ることが考えられるので、とにかく調べて、やばそうな方法は避けます。
石好き危うきに近寄らず。まあ、ダメージがないだろうと思われる方法で、一般的なものは、
(1)セージ
(2)音(シンギングボールなど)
(3)月光
(4)クラスター
……でしょうか。
ここで、第二条件の「納得できる方法」を
さらに掘り下げます。ダメージが出たら嫌だ、というほかに
「これなら浄化できるだろう」「なるほどこれは浄化だろうと納得できるのも第二条件のうちだからです。
そこで、ちょっと順序が前後してますが、改めて考えます。考えてみなければなりません。
「浄化」って何を浄化するんだろう?えーと、これは、私だったら、
何を浄化したくてその気になるんだろう……という意味です。
たいてい以下のケースでは「浄化しましょう」と言われていますが、
どのケースでその気になるか。●石が手元にやって来るまでにいろんな人に触れられて影響を受けているから。……石が手元にやってくるまでには、誰かが掘り出し、運ばれ、売られてこなければなりません。
当たり前です。
逆にたくさんの人が関わってくれたからこそ、私の手元にやってきてくれたんです。
そんなことを気にするなんて、触れただけで(悪い)影響が出るなんて。
そういうことがあったとしても、ここはひとつ、ハッタリ込みで……そんなことに私、負けません、と言いたい。
どっちかというと、これは、皆さんのおかげでこの石を手に入れることができました。ありがとう。
……じゃないでしょうか。浄化しなければという気分にはなりません。
ま、軽く洗い流すぐらいはしますけど、浄化と思っていないので浄化ではありません(第1条件)。
お店に並んでいる間に、いろんな人にさわられて……。
いろんな人が気になって取り上げた。それは、それだけその石が気になるいいい石だったということ。
でも、そういう人たちの所に行かずに、私の所に来てくれた。……
ラッキーじゃありませんか。「欲しい〜でも買えない」そう思われたことが何だと言うのでしょう。どっちかというと褒められたに等しいような気がします。(みんなにそう思われた石を買っちゃった〜←性格悪いかも)
●石を買ったら体調が悪くなった、悪いことが続く。 何か良くないものが入っているかもしれないから浄化しましょう。 ……以前にも述べましたが、私の場合、新しい石が手元に来て体調が悪くなったら、
「さあ、お近づきになりましょー! それでも好きなのよー!」
と、
逆にべったり身につけちゃうので、
浄化対象にはなりません。買ってすぐぴったりフィットする石ばかりではないでしょうし、
それくらいのことに適応できなくてどうするか。「石が」合わないではなくて、「人が」合わせるもありなのです。
こういう場合は、人間の方が小回りがきくでしょう。
悪い出来事が……
そんなもの、「石のせい」にしなければいい。石があってもなくても運が悪いことはあります。
……ということで、だから浄化しなければという気分にはなれません。
下手に石のせいにすると、石が「悪いことの記念品」になりそうです。そんなのは大却下。
●いきなり他人にさわられて。あるいは嫌な人にさわられて邪気が入ったかも。……私、自分から人に手渡す口なので、さわられて嫌と言うことはないです。
だからこれも浄化対象ではない。
そもそも「きれいね」とさわったことを、悪意のようにとらえてしまうのは失礼です。
邪気が……についてははっきり反対。邪気が入ったかも、というのは「邪気は存在する」「自分の石は邪気に負けてしまう弱い石だ、さあ大変」と考えること。持ち主がそう思っていたら、世の中は邪気に満ち、石はとても弱い
虚弱石になってしまうでしょう。
そんなことでいいのでしょうか?
私は嫌なので、邪気が……とは考えません。
自分で自分の石を邪気まみれの虚弱石などにしたくない。さて、世間一般で「〜だから浄化しましょう」「こんな時は浄化しましょう」というケースがことごとく当てはまりません。
「浄化しましょう」「とにかく浄化しましょう」では納得できないし、納得せずにやったのでは第一、第二条件に反します。
ああ、こういうのもありました。
●石が疲れている
●持ち主のマイナスの気を吸ってしまった。……
石は疲れるもの、と考えることこそが石を「お疲れ石」にしてしまうと思うんですが……誰だってどんより落ち込んだり、ぐったり疲れたりすることはあるわけで、そんな持ち主のそばにいたら、石だってお疲れしちゃうかも。
本来なら持ち主が元気になることが石を元気にすると思うんですが、思いっきりヘコむことだってあるし、ここは
ひとつ石に元気になってもらって、それに釣られて自分もすっきりしたい。そんな
気分転換式浄化なら……まあ、やってみようという気になるかもしれない。
ということで、
私がやるとしたら、持ち主のせいでお疲れかもしれない石に気分転換浄化。そこでさらに考えます。
考えるのはタダ。浄化もパワーストーンもイメージの話ですから、
考えることこそ真髄です。
この場合の
石のお疲れは、どうやったら回復するだろう?ここで話は先に挙げた
(1)セージ
(2)音(シンギングボールなど)
(3)月光
(4)クラスター
に戻ります。
私はセージ、いやクラスターでやりたい、誰それが月光がいいと言っていた……
そんなのは選ぶ理由にはなりません。浄化の第二条件は
「納得できる方法で」です。
ここでしつこく、さらに突っ込んで考えます。
「石の何を浄化するか」を考えたのですから、次なる問題は、
「浄化の方法」として知られる行為は、どうして浄化できるのか、ということ。たとえば、他人の影響を受けている(かもしれない)から……という、
「外的要因を浄化」という場合と、かろうじて私がその気になるかもしれない、持ち主がどんより気味だから石もしんどいかもしれない……という
「内的要因を浄化」という場合では、同じ浄化でも違うと思いませんか?
内科と外科では治療方法も薬も違いますって。
だから、
どんな方法だったら私がやりたい浄化に適しているか。そのためには、その行為がどうして浄化になるかを考え、それに納得できなければなりません。
まず、
セージ。
何でもインディアン(ネイティブ・アメリカン)が行うスマッジングという浄化の儀式に由来するんだそうですが……。
うーん、実際に行われた浄化の儀式ではあるけれど……。
ここで「う〜ん」と唸るのは、それで本当に浄化になるのか、という疑いではなくて、ネイティブアメリカンのスマッジングの儀式がどのようなときにどのように行われる儀式であるか全く知らないのに、へー、ネイティブアメリカンがやったんだって、という軽いノリでセージを炊いても、
私自身がそれでは効き目はないだろうなと思ってしまうだろうからです。
調べてみると、この儀式ではいくつかのセージが使われ、「清める」意味での浄化にはシダー・ウッドが使われるのだそうです。
どうせだったら、セージよりシダーウッドをつかってみたいし、それになにより、(ネイティブアメリカンの儀式を体験する機会などたぶんないけれど、少なくともイメージとして、クリアに思い描けなければ……ああ、こうやってネイティブアメリカンの人々たちは浄化されるという実感を得たのだろうな……としっかり想像できなければ、
私は自分がやるセージの浄化に効力を持たせることができないだろう。あ、これは
第三条件かもしれません。
行為だけでは浄化にならない。私は、思えばそうなるというのがイメージの世界だと思っています。
石にはパワーがある。それが心に影響を及ぼす。そう考えるから石はパワーストーンになり得るし、「うわ〜、これはすごい!」と心ふるわせる石ほど、パワーがあるということになる。
イメージ的な「実感」が力になり得る。だから、逆にどんな著名なヒーラーががこれはすごい石だと言おうとも、ふ〜ん、と思って興味がなければ、
その人にとってその石のパワーは存在しない。同じようにその行為を行うことで石が浄化されていくのだとイメージできる行為、あるいは行為によってイメージすることで、それは浄化になり得る。
イメージできない形だけのまねごとは、同じ行為でも浄化の効果は期待できない。
イメージという点を注目すれば、そうなります。
話を元に戻します。
セージによる浄化は、たぶん私がそのイメージ的な力をまだ実感できない。だから私がやっても浄化にならないでしょう。
それにスマッジングという儀式を考えるに、これは
「心身の浄化」。むしろ持ち主が自分自身を浄化することで元気になり、そのことで石も元気になる。そういうイメージがあります。
だから、「石を」浄化するのに適しているかどうかは、KURO的に微妙。
一番儀式っぽくはありますが。
次に
音。
シンギングボールやティンシャ(チベタン・シンバル)などは有名ですね〜。
クリスタルチューナーという専用の音叉もあるそうです。
音叉は持ってないですがシンギングボールやティンシャの音は好きで、持ってます。
あの何とも言えない音が浄化になるなら、いいですねえ〜。
ただし。
これについてはとても個人的な思いで納得しきれません。自分でも惜しい〜と思ってるんですが。
だって……シンギングボールは、
仏教の法具です。
木のスティックで縁をこすって音を出すのは、ニューエイジの人々が勝手にやっている方法だそうで、現地では普通にごーんと打ち鳴らすのだそうです。
人間が自ら作り出した宗教のための用具を、これまた宗教とは関係ない人が勝手に使って出した音は、果たして浄化に役立つや否や。すごくきれいな音なので、使う人がこれを元に浄化されていくイメージを思い描けるなら、十分浄化になりえると思います。
しかし
個人的には、浄化……今回の場合の石のお疲れ解消というよりも、
石を何かの目的のためにチューニングするイメージがあります。
法具は祈りの道具です。祈りは願いでもあるでしょう。
音とともに祈り、心を深め、神(仏)に祈り(思い)を届けるのなら、これを用いることは、石の中に自分の思いを響かせることではないか。
そんなイメージがあるからです。
石のお疲れ解消のためには……別の方法はないかな。
ここでもう一度改めて。
持ち主のどんより気分のせいで疲れてしまった「お疲れ石」を元気にするために、気分転換になる浄化をしたい。そういうことであれば、私も浄化をしてみようとい言う気分になるかもしれない。
目的は
「石が元気」になるように。
石が元気になるためには……
逆に石が元気な状態とは、どんなものだろう?私の答えは単純です。
持ち主が石を手にしてうれしく思い、心が生き生きとしていれば、石も元気。極端に言えば、「きれいだね〜、今日も一緒にがんばろう!」のような状態であれば、石も輝いている。そう思ってます。
だから、本当は持ち主が気分一転ヘコみから脱却して元気になれば、それが一番なんですが、とりあえず、今回は持ち主が自前ではどんよりから抜け出せない状態だったら……ということで。
持ち主の要因抜きで石が元気な状態……それは「自然な状態」……まだ大地に抱かれ、人の手に渡る前の状態ではないでしょうか。
掘り出されて、人間の世界にやってきて、いろんな人に触れられたり、持ち主のどんより気分につきあったり、そういうことで浄化が必要になるというなら、それ以前は石は元気だったということになるのではないでしょうか。
今さら、石が生まれた土地に戻すことはかなわないけれど、
石と大地をもう一度(イメージ的に)つなぐことができるなら、それは石の力になるのでは……。人(持ち主)のためにお疲れならば、自然の力で回復する……なんだかいいかも。
いいかも、と思えることは、(私にとって)意味があること。では、石と大地を(イメージの力で)つなぐには、どうしたら。
そういう視点で考えると月光やクラスターは自然物を使うという点で、石と大地をつなぐと言うイメージに近そうです。
もっと言えば、月もいいけど、月は空のものなので、大地ということで今回の場合は、クラスターが良さそうです。
石は……私の場合はたぶん水晶はたいてい、クラスターの状態で産出します。
クラスターはより産出状態に近いと言えるわけで、そんなクラスターと一緒にしておくことで石も元気になったりしないかなあ……(乗せるのは、ダメージの危険があるので、そばに置く方法を採用)。
思う力がパワーとなるなら、クラスターはできれば大きめ、なるべくワイルドで「採りたて」っぽいの。
違う鉱物と共生していたりすると、なおいい雰囲気ですねえ……。
たとえばこういうの。

これは国産の尾太水晶です。(パイライトと共生してます)
浄化(元気回復)しようとする水晶と産地をそろえてもいいけど、大変そうですね。
……なんだか、いつもの石選びになってきたので、私が石の元気回復に何かしようと考えるなら、クラスターのそばに置く方法かな……と。
それを一応の結論にしておきます。
とりとめもなく書いてしまいました。
何をぐちゃぐちゃ考えてるんだと思われたかもしれません。
でも、
私はやるなら考えてやりたい。浄化というのは鉱物趣味とは違う、イメージの世界。
だったらイメージを大切にするのは当たり前です。正しい、間違いというのではなくて、私は
自分自身が納得したい。イメージの世界でそれが力になるはずだからです。
「浄化というものが必要です」
「浄化には○○という方法で」
と言われて、浄化が何かもわからず、その方法が何を意味するかもわからず「浄化」なるものを行ったとしたら。
私は、自分の石に何をすることになるんでしょう?
それがわからないのがとても怖い。だから、やるとしたら、
何をどうするか、それはなぜかとしつこく考えました。
「元気回復」なので、石と大地をつなぐためにクラスターと考えましたが、違う浄化が目的なら、違う方法がふさわしいと考えるでしょう。
同じ石の元気回復でも、別の人だったら別の方法を良しとすることでしょう。
でも……「やるとしたら」という前提なのがすでに変。
私の考えはこうです。
まず、「石好き!」であること。
持ち主の「好きだよ〜」という心が、何より石を元気にするでしょう。
元気な石に、浄化が必要なものが入り込む隙などないはず。なので、私は浄化をしない。
石の元気には自信があります。