石を見る目
訳あって石の写真を短期間に大量に撮ることになった。
いつもは、気が向いたときに、撮りたい石を撮りたいように……思ったように撮れなければ「また今度」、いささかぴんぼけていようが、明暗がきつすぎようが、どこかが光を反射して白くなっていようが、自分が感じた石の様子が写せていればそれでよしという、気楽で気ままな写真を撮っている。
今回もそんな写真でいいといわれたものの、ネックは時間で、大いに慌てて撮ってしまった。
そんな中でも、心惹かれる石の表情を見つけると、思わずよけいなカットを撮ってしまう。
たとえばこんな。
メキシコ産のフローライトのアップ。
わかっていればフローライトだけれど、知らなければ「何じゃこりゃ」かもしれない。
だからこれは、石の写真……からはちょっとずれてしまう。
しかし、思い返せば、私の石写真はこういうアップのマクロ写真から始まった。
デジカメのレンズにルーペを押し当て、暗いと自動発光してしまうフラッシュを指で隠し、時には懐中電灯でライトアップしたりしながら、なぜか石全体ではなくて石の一部を撮りまくった。
石が持つ世界、表情、そういうものが美しくて面白くてたまらなかった。
その感覚は、石全体を写すようになってからもどこかに残っていると思う……写真の中に、というよりも石選びの中に。
私は石の形や内包物が好きだ。
それは、石一つ一つの表情や個性を見るということ。
ある意味「この石はこんな意味」とまとめてしまうパワーストーンの考え方とは異なる。
私に言わせれば、「この」フローライトは、こっちのフローライトとは違う。「この」フローライトの「この」部分が好きなんだ。ここがいいのよ、ここが!
……こうなると、選んだフローライトは、同じ産地の同じ色の、同じような大きさのフローライトであっても「別の石」。
パワーストーンで「○○石を持ったら試練(?)があった」「ええ~? じゃあその石は持たないことにしよう」というやり取りがあったりするけど、選んだ石とそのほかの石は「違うでしょ?」の私にすれば、その人の石はその石、私の石は私の石で違う石。忌避する理由が見つからない。
どうして、同じ種類だというだけで自分の選んだ石にも同じことが起こると思えるのかもわからない。
さて、このフローライトは私にとって「都市」のイメージ。
無数の立方体が集まって、微妙な凹凸を持ちながら全体的には大きい立方体を形作っていて、そんな立方体がふう数、無秩序に組み合わさっている感じ。
この秩序と混沌の組み合わせが、不思議と「都市」のイメージになる。
何枚、こういう写真を撮っただろう。
わくわくしながらカメラの向こうのフローライト・シティを探検した気分を思い出した。
いつもは、気が向いたときに、撮りたい石を撮りたいように……思ったように撮れなければ「また今度」、いささかぴんぼけていようが、明暗がきつすぎようが、どこかが光を反射して白くなっていようが、自分が感じた石の様子が写せていればそれでよしという、気楽で気ままな写真を撮っている。
今回もそんな写真でいいといわれたものの、ネックは時間で、大いに慌てて撮ってしまった。
そんな中でも、心惹かれる石の表情を見つけると、思わずよけいなカットを撮ってしまう。
たとえばこんな。
メキシコ産のフローライトのアップ。
わかっていればフローライトだけれど、知らなければ「何じゃこりゃ」かもしれない。
だからこれは、石の写真……からはちょっとずれてしまう。
しかし、思い返せば、私の石写真はこういうアップのマクロ写真から始まった。
デジカメのレンズにルーペを押し当て、暗いと自動発光してしまうフラッシュを指で隠し、時には懐中電灯でライトアップしたりしながら、なぜか石全体ではなくて石の一部を撮りまくった。
石が持つ世界、表情、そういうものが美しくて面白くてたまらなかった。
その感覚は、石全体を写すようになってからもどこかに残っていると思う……写真の中に、というよりも石選びの中に。
私は石の形や内包物が好きだ。
それは、石一つ一つの表情や個性を見るということ。
ある意味「この石はこんな意味」とまとめてしまうパワーストーンの考え方とは異なる。
私に言わせれば、「この」フローライトは、こっちのフローライトとは違う。「この」フローライトの「この」部分が好きなんだ。ここがいいのよ、ここが!
……こうなると、選んだフローライトは、同じ産地の同じ色の、同じような大きさのフローライトであっても「別の石」。
パワーストーンで「○○石を持ったら試練(?)があった」「ええ~? じゃあその石は持たないことにしよう」というやり取りがあったりするけど、選んだ石とそのほかの石は「違うでしょ?」の私にすれば、その人の石はその石、私の石は私の石で違う石。忌避する理由が見つからない。
どうして、同じ種類だというだけで自分の選んだ石にも同じことが起こると思えるのかもわからない。
さて、このフローライトは私にとって「都市」のイメージ。
無数の立方体が集まって、微妙な凹凸を持ちながら全体的には大きい立方体を形作っていて、そんな立方体がふう数、無秩序に組み合わさっている感じ。
この秩序と混沌の組み合わせが、不思議と「都市」のイメージになる。
何枚、こういう写真を撮っただろう。
わくわくしながらカメラの向こうのフローライト・シティを探検した気分を思い出した。